引きこもったままでもいい社会
引きこもっていたら何がよくないのか
引きこもりの高年齢化が問題視されていますが、引きこもっていたら何がまずいのでしょうか。
- 働きに出られないので収入がない
- 人とのコミュニケーションをとる機会が少ない
- 社会との関わりがなくなる
まず思いついたのはこんなところです。これは引きこもっている側に立った場合の問題ですが、一方社会的にも、8050問題など、主に将来の財政などの面で問題視されています。親が亡くなったら生活保護に頼らざるを得なくなるかもしれず、その数が増えれば増えるほど財政負担は増します。
引きこもるきっかけとしては「退職」「人間関係」「病気」などがあるようです。
原因はいろいろ考えられるものの、ブラック企業などの過剰な労働にあるとみる専門家もいます。
引きこもっている人にとって、「正社員が標準」の日本社会に復帰することはかなり困難
現在は引きこもっている人に働きに出てもらうことだけが正解のように報じられていますが、上に見たように、人間関係や病気がきっかけで引きこもるようになった人が外に働きに出ることは、とてつもなくハードルが高いことのように思えます。それに病気の人はまず治療が必要でしょう。
引きこもっている中高年がこれだけ増えたのには、わかりやすい理由があります。
- 正社員が標準の働き方だと世間一般で認識されていて、それ以外の働き方の選択肢が少ない
- キャリア採用以外、30歳以上の転職者が歓迎されていないので、辞めてから時間がたてばたつほど再就職が困難になる
- 長時間労働やハラスメント等が原因で体や心を壊してしまった人は、同じような環境に戻って働くことはできない
- 社会的に働いていない人を見下す風潮があり、本人もそういった認識をもっていた場合、無職の期間が延びれば延びるほど自尊心が失われていく
- 両親の世代がバブル等によって金銭的余裕があり、引きこもっている子供を養うことができる
他にもいろいろと考えられるとは思いますが、少なくとも言えることは、引きこもりたくて引きこもっている人は多くないということです。
そりゃ、外に出て働けるなら働きたいと思うでしょう。「働かざる者食うべからず」という言葉がある日本社会では、働くことが当たり前とされ働かない人は怠けていると思われるのですから。
逆に考えれば、働くことで社会へ貢献しているという自覚は本人の幸福度に繋がります。脳科学的にも社会的承認の脳に与える報酬は大きいという研究があります。
「どうやって外に出て働かせるか」ではなく、「どうすれば当事者と社会の両者にとって利益になるか」という視点で考える
ここで、もう一度冒頭の問題について考えてみます。
- 働きに出られないので収入がない
- 人とのコミュニケーションをとる機会が少ない
- 社会との関わりがなくなる
収入がないということは本人もつらいけれど、社会にとっても税収が増えないということであり、さらには将来的に社会保障費が増えるという、どちらにとっても避けたい状況であることに間違いありません。
これを解決するには、働き方の選択肢を増やすのが簡単です。つまり、引きこもったまま短時間だけでも働ける仕事があればいい。現在でもクラウドソーシングや「在宅でできる簡単な仕事」と言われるものは探せばありますが、前者はフリーランスの弱肉強食の世界であるし、後者は貧困ビジネスとしか思えないような怪しげな仕事ばかりです。
ここに行政が介入すべきです。たとえば、ハローワークの在宅勤務版があればいい。ゆくゆくはいろいろな選択肢の仕事を紹介してくれるようになれば理想的です。企業も柔軟に人を募集できるのでメリットがあると思います。現状は紹介してもらうためにハローワークまで実際にいかなければならないのですが、ネットですべて済ませることができればハードルは下がります。
問題は正社員との待遇の差ですが、これは一部仕方のないところではあります。ただし、憲法によって「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と決められているので、補助金等によって多様な働き方を許容する企業を増やしていくといった地道な努力はすべきであると思います。
働くハードルをどこまでも下げていく
まずは、外に出られないのなら、先に述べたように家の中で働けるようにする。他にもどうやったら働けるか、各人がそれぞれの妥協点を見つけられるようにする。
たとえば、ブランクがありすぎて就職できないなら、履歴書を出さなくてもいいようにする。そうやって働くハードルを徹底的に下げていく必要があります。
会社側はそれではちゃんと仕事をしてもらえるのか不安になるでしょうから、行政や支援組織など第三者が間に最初の頃は入る必要があります。また、そうすることによって、悪徳な企業が、安く使い捨てにするような働かせ方をすることを未然に防げます。
そして、このような働き方が認められてくれば、民間にエージェント組織などができてくるのかな、と思います。
そこまでして働かせるべきなのか
という問題に対しては、それぞれの人の人生の目的による、としか言えないけれど、少なくとも本人も社会もどちらも大損するよりはましなのではないかと思っています。
これからの社会への個人的な希望
ベーシックインカムが導入されればいい。
日本共産党のポスターで「8時間働けばふつうに生活できる社会へ」というような文章を見かけたけれど、8時間労働は長すぎる。週30時間働けば生活できるようになればいい。それ以外の時間は自分のやりたいことをやればいいと思います。
アメリカの哲学者エリック・ホッファーもそんなことを言っています。
もちろん、働くことが楽しいし生きがいだという人はどんどん働けばいいと思うし、それに応じた収入を得られるようになればいい。言いたいのは、働く以外の生き方を許容できる社会になればいいということです。
おそらくAIなどの広がりによって人間のする仕事が減ってきたら、否応なくそうせざるを得ないような気もします。何せ選挙で政治家を選ぶ制度が続く限り、大多数が生活に困窮するような社会は成り立たないからです。そういう国は今でもあるけど、心配性の日本人がそんなことになる前に手を打たないとは思えません。
ベーシックインカムの財源については、日本でもようやくGAFAなどの巨大IT企業からどうやって税金をとるべきか「デジタル課税」などの検討が始まったようですが、これに期待したいと思います。
ようは、いろんな人がそれぞれの条件を抱えたまま、個々人の幸福を追求できる社会になったらいいな、という希望なのです。
それが「引きこもったままでもいい社会」というタイトルに集約されています。
AIによって社会的公平さと個人的幸福の最適解を見つけられるのでは
AIによって支配され、AIの指示の通りに人間が動くという社会。たぶん、そういう方向になっていく。それは良くないことだとか言っても仕方ありません。なぜなら、今ですら人間は人間を信用せず機械を作り出したからです。森博嗣もそんなようなことを言っていた、ような気がします。
「支配される」とか「仕事を奪われる」という言葉を使うからおどろおどろしいディストピア的未来しか描けないけれど、たとえば、自動運転が普及すれば、地方のお年寄りが誰にも頼らずに外出できるようになります。高齢者のドライバーによる事故もなくなるでしょう。
世界中の富の格差をだいたい解消するにはどうすればいいかも、きっと計算してくれるに違いありません。
そのときにはおそらく「引きこもったままでもいい社会」から「大体みんな引きこもっている社会」になっているのではないでしょうか。